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アメリカ被曝兵士の告発

「アメリカ被曝兵士の告発 NUCLEAR SOLDIERS」

 核実験場の丘の斜面にいた。
 原子爆弾が投下される直前に後ろ向きに座れ、膝を立て、手を頭の後ろで組めと言われた。
 爆発の瞬間、首の後ろがバーナーで焼かれたように熱くなった。
 爆発の後、塹壕を出て、爆心地で軍事演習をしたのだが、見ると塹壕に積んであった砂袋が燃えて、
溶けた砂がガラスになっていた。

 ビル・バイヤーズさん。ネバダ核実験場ユッカ・フラット、1951年夏。塹壕に入って後ろを向くように言われた。
 原子爆弾が爆発すると、今度は向き直って、キノコ雲をじっくり観察するように言われた。
 それから塹壕を出て爆心地に進撃した。爆発が起こると、砂漠全体が真昼のように明るくなった。
 全ての物がくっきりと浮き出たようだった。

 ロン・ドランさん。
 どれくらい放射能を受けるのかと聞いたら、連隊長はX線写真を撮るより少ないだろうと答えた。
 公開核実験で、私達は爆心地から2キロほど離れた塹壕の中にいた。
 身を守る装備は何一つ与えられず、ただ後ろを向いてしゃがみ、しっかりと目を閉じ、
両手で覆うようにと言われた。
 一瞬、辺りが昼間よりも明るくなり、少し目を開けると自分の手の骨がすけて見えた。
 その時強烈な衝撃波に襲われた。それは山に当たって跳ね返りさらに強い衝撃なって戻ってきた。
 爆心地攻撃の演習に入った。しばらく歩くと足の裏が熱くなってきた。
 足もとに目をやると戦闘用の靴の底がめくれて剥がれ始めていた。それほど地面が熱かった。
 メディアの連中は爆心地から12キロ以上も離れた特等席で大きなゴーグルをつけて見物していた。
 核実験の後、肺を患い、胃からも出血した。関節炎や胆嚢の障害、尿路疾患にも苦しんだ。
 心臓発作も起こした。驚いたのは、実験台にされた翌日、歯茎から出血した事だ。
 二週間後には歯がぐらぐらし始め、指で触ると簡単に抜け落ちた。歯が7本抜けた。
 胃の調子はどうしようもなく悪く、大量に出血したので、手術を受けた。胃潰瘍と言われた。
 それまではどこも悪く無かったのに。

 グレッグ・フォレストさん。(キノコ雲の事)あれほど美しい物は見た事がありません。
 オレンジ、黄色、紫や緑、色んな色に輝いていました。
 それを見て思いました、ミケランジェロにだってこんな絵は描けないだろう。

 パット・キャンベルさん。戦車の砲塔が溶けて土台部分とくっついていた。

 グレッグ・フォレストさん。三人の子供達は実験の後に生まれた。
 上の娘は十台になって心臓に穴が開いているのがわかった。
 次の娘も心臓の弁に障害が見つかり、末の子には軽度の知的障害がある。グレン・グリフィスさん。
 息子達に体の障害が出た。一人は亡くなり、一人は社会保障を受けている。
 娘は背中や喉に自分と同じように発疹やこぶがあった。歯が抜けおち、歯茎からも良く出血した。

感想:別のドキュメンタリーで人体実験じみた核実験の事は知っていた。
 というか、日本人なら、あの核実験の有名な映像を見ただけで、
あの爆風を浴びた人達がどのくらい放射能を浴びているかと顔面真っ青と言った感じになるだろう。
 知らないって恐ろしい、と言うか、断ると軍事裁判なのか。それでも、断るのが正解だったね。
 子供に影響するのが何よりもつらい。

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コメント

きょうpapiが告発♪

きのう、ポポロンで斜面へ演習しなかった。

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