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あの日 昭和20年の記憶 1月編

「あの日 昭和20年の記憶」1月編

今日(一月一日)から始まった番組「あの日 昭和20年の記憶」。有名人が昭和20年の記憶を語る番組。これから毎日放送するらしい。ぜんぶ見ようと思う。
今日の新藤兼人監督は30代で兵隊にとられ、「日本が負けているのはお前達が役立たずだから」と毎日殴られたんだそうだ。殴られるとマンガみたいに星が飛ぶそうだ。これだから、日本の軍隊はいやだ。ロシアも軍隊のいじめが問題になっているらしいが…。

古川ロッパさん、お上からあまり笑わせるなと言われ、憤る。お笑いの人は笑わせるのが商売なのに。
 上坂冬子さんは昭和20年当時14歳。健康のために学校で毎日皆素っ裸で乾布摩擦をしたんだそうだ。生徒も先生も真面目にやっていたとか。日本では大東亜戦争の事を聖戦と言っていたのね。何かイスラム教のテロリスト達と重なっちゃうね、あの頃の日本人は。(1月10日の記事)

1月3日 阿川弘之さん。
 船が好きで、船に乗るには通信が良いと聞いたので、海軍の通信を希望したら、通信特にまわされた。
 情報関係だった。漢口(武漢)で働く。 戦闘詳報がまわされてきて、上官が読めと言ってくれた。
 新聞発表とは全然違うレイテ海戦の真実が書いてあって、日本は負けると思った。

1月5日 千玄室(裏千家前家元十五代)学徒出陣で海軍に入隊。もしもの時には特別攻撃隊に入るか入らないかという紙切れを渡される。「熱望」「希望」「否」どうせ遅かれ早かれ死ななきゃなんないなら、自分の意思で決めたかったから「熱望」を選んだ。利休さんから十五代の自分も自刃やなぁと思った。
1月6日 脚本家、早坂暁さん。松山は俳句が盛ん。句会にての父親の句「新年や あら遍路する人の影もなし」去年当たりからお遍路の姿を見なかった。 
1月18日 映画評論家、佐藤忠男さん。昭和20年1月18日の時は14歳。国民学校高等科2年生。中学の校長先生が試験の当日、明治天皇の御製を三首いきなり朗読した。そういう時はさっと頭を下げなければいけないのだが、ぼんやりしていて頭を下げなかった。そういう奴は愛国心の無い奴だから中学に入れてやらないというのが校長の考えだった。で予科練の海軍少年飛行兵に入る事にした。
山田風太郎の日記
「大鳥館」なる映画館にふらりと入りみるに「野戦軍楽隊」なる映画を上映しあり。数うるに見物わずか十五人。これまた空襲を怖れてのことなるべし。寒きことおびただし。星きらめき、月鎌をなす。風なく夜しずかにして、全東京ほとんど暗き大いなる氷に閉じこめられたるごとし。

1月11日 ちばてつやさん。奉天(瀋陽)に住んでいた。6歳だった。良く街中をうろうろしていた。いたずらをした日本人の子供を見たが、中国人は子供が日本人と知ると叱らなかった。
1月12日 朝丘雪路さん。体が弱く、ばぁやと一緒に人力車で学校に通っていた。父の元に出入りする画商の別荘を借りて、群馬県に疎開した。疎開先の子供達は二本鼻を垂らし(栄養が足りないから)、それを拭いた手で朝丘さんのふわっとしたスカートに触ろうとするので、お爺ちゃんのマントに隠れて「いやだ、いやだ。学校に行かない」と言ったらしい。田舎の子達が桑の実を洗わずに食べているのを見て、洗わずに食べるなんていやだと思ったが、おいしそうに食べているので、ちょっと拭いて食べてみたら、ほっぺたが落ちるほどおいしかった。向こうから戦闘帽をかぶり、ゲートルをはいて、カーキ色の上下を着た男の人が背中に大きなリュックサックを負い、前にも荷物をぶらさげて、両手に重そうな荷物を持ってやってきた。父だった。父は画家なので、手が震える事が無いように、箸や絵筆より重いものを持たないようにしていた。父はファンからいわしの缶詰をもらい、体が弱い朝丘さんのために持ってきたのだ。

1月27日 杉下茂(野球解説者 79)さん。中国戦線で陸軍二等兵。昭和19年12月25日に宇都宮で入隊。支給されたズボンはステテコみたいな感じで、水筒も竹筒で、軍靴では無く地下足袋だった。6人ぐらい、何にもしない夢遊病者みたいな兵隊さん達がいた。あの人達はなんだと聞いても誰も答えない。耳に挟んだ話ではニューギニアで散々っぱらやられて、かろうじて軍旗を持って帰って来た人達だった。つまり周りの人間が皆死んで、命からがら逃げて来た人達だ。軍に隔離されていたのだ。赤いご飯で赤飯と思ったらコーリャン米だった。初めはまずかったが、おなかがすいて食べているうちにおいしくなった。地下足袋で十里行軍をして足が豆だらけになった。銃は螺旋のない銃で、玉が何処行くかわからない、一発撃てば終わりの銃だった。

1月28日 服部公一(71 作曲家)勤労奉仕が沢山あった。駅に来た石炭をトロッコに積んでガス会社に運ぶ。結構大きいトロッコに山盛りに石炭を積んで小学生4,5人が押す。ブレーキ無し。途中で暴走したりするが、ガキだったから結構面白がっていた。全身真っ黒になって帰った。途中おばさん達がよっていけって言って水浴びさせられた。

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